歴史から治水を学びましょう - なんでも屋 通信販売 ネットショッピング

なんでも屋 通信販売 ネットショッピング

ネットでキッチン用品やインテリア、生活用品をお探しの方におすすめのブログ。水やコーヒーなども出来るだけ安くて人気のあるものを販売しています

-

歴史から治水を学びましょう

大雨や台風などで河川の氾濫が毎年のように起きています。

年々進歩しているはずの治水工事があまり効果的でないのは何故なんだろうといつも考えます。

堤防の拡張工事や都市部の巨大な貯蔵漕など対策は進んでいるのに想定外の災害になってしまう。

日本の歴史上でも治水対策は進んでいましたが、その中でも特に効果のあったものをご紹介します。

日本の歴史というと戦争や武将や偉人の話が多いのですが公共事業の治水でも名を残した人は少なくあります。


日本は昔から洪水の多い国でしたが、大陸と違い山から海までの距離が短い為、河川にかかる負担は相当なものでした。


中でも1級河川は川幅が広くクネクネと蛇行した河川が多いのと支流の河川が交差し河川の流量が増えやすい地形。


加えて都市部のアスファルト化で水流の早さも昔とは比べ物にならないくらいスピード感がアップしています。


このように雨が多く、流れるスピードの速い日本ではどのような治水対策が必要なのでしょう。


明治の実業家 金原明善 1832~1923

天竜川の治水を行った人で天竜美林を作った方です。

この方の治水対策は治山で有名、禿山だった山に植林をし山からの水を森林で蓄えることに人生をかけました。

17年で植林した数は680万本

東京ドームの450倍の植林を実現しました。

治水を始めた当初は近代的な治水を考えていたのですが地元の村々の方たちとの摩擦で孤立してしまいます。

天竜川で生計を立てていた人たちにとっては死活問題になるため意見をまとめるのがとても大変だったそうです。

それで近代化を諦め植林で貧しい人たちに仕事を提供し丸太の運搬や加工のための製材所を作ったり資金繰りのための銀行を作ったりと一見治水とは関係ない方法で村人を救い結果的に治水にも多大な影響をもたらしたと言われています。

最初に植林から始めたのが村人の貧困も天竜川の氾濫も両方ともに作用した良い例


津田永忠

この方は治水と新田の両方で成功した方

先の西日本豪雨でも、その治水方法が話題になりました。

旭川が氾濫するため百間川に分流部を設け放水路として活用

巻石で河川の両側を固め、水の抵抗を和らげるためにカマボコ方の巻石を作り百間川を放水路として使うことに成功しています。

また百間川の下流に新田開発をし水害による食糧不足にも対応した一石二鳥の治水対策

川から流れて来る水で干潟に新田を作り海が満潮の時は樋門をしめ干潮時に樋門を開け田んぼの水を海に流すという治水です。



戦国の武将 武田信玄 1521~1573

水を以って水を制す

甲府盆地を守るために釜無川に約3kmの信玄堤を建設

御勅使川には洪水の根本を抑える石積出を作り信玄堤が受け止める

中でも個人的に気に入っている堤防が霞堤

川の本流に隙間を作り洪水の水を逃がし勢いを逃がす役割のあった堤防

洪水が治まれば自然と本流に溢れた分が戻っていく仕組みでした。

これは洪水時の魚の逃げ道にもなり魚に優しい堤防として個人的には好きな堤防のひとつ

また信玄堤の管理には竜王河原宿に居住させ堤防のメンテをしてもらう代わりに税金を免除する政策もとっていました。

行政ばかりでなく近く住む人を管理者として居住させている官民一体の治水事業と言えるでしょう。

近代的な箱モノやコンクリートで洪水を封じ込めるのではなく

洪水の勝つのではなく負けないように共存する治水の在り方も大いに参考にすべきと思います。


単純に治水対策といっても、その部分だけの治水ではなく地域や地形の全体像をとらえ有効に利用する方が理にかなった治水対策ができるのではないでしょうか。



楽天 → 生きている霞堤 豊川の伝統的治水システム


楽天 → 治水技術の歴史 中世と近世の遺跡と文書






関連記事

何をお探しですか?

検索フォーム

カテゴリ