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温故知新を地で行く村長

2019/ 07/ 03
                 

温故知新


子曰く、故きを温ねて新しきを知れば以て師と為すべし

古いことを研究し新しい知識や方法を得る人がいれば、その人をリーダーとして良い






満州事変の結果、大陸に進出する前進基地、更に中国革命の波及阻止をする拠点として日本が中国東北三省および熱河省に作った傀儡国家が満州国である。


傀儡国家とは傀儡政権とも呼ばれ名目上は独立しているものの内政・外交ともに自己決定権が不完全で支配者の利益のために支配された国家や政権のことである。

簡単に言えば侵略のようですね。

この満州国に移民を送るという国策が実施されたのですが、これに異を唱えたのが佐々木忠綱という村長である。

ただ国策というと当時の政局では右習えで従うものだったのですが視察団の一員として参加した佐々木さんは現地の状況に疑問を持ったわけです。

開拓が名目の満州移民でしたが佐々木さんが目にしたのは開拓ではなく金で現地の土地を買い中国人を働かせるという実態

また日本人は満州人に対し横暴で町のいたるところ日本人の横暴さを目の当たりにしたのである。

で、どのように国策である満州移民に抵抗したかというと損議会の決定を遅らせたわけです。

なるべくなら参加したくない佐々木さんは一回の会議で可決する案件にも1か月ほどかけ了承を得る、という牛歩戦術のような会議を日々繰り返していた。

実はこの錦秋移民政策は終戦とともに白紙になるのですが大きな問題は満州からの引揚者が大勢亡くなってしまったこと。

集団自決などもあったようです。

極寒の地で着の身着のままで逃げ飢えや疫病でたくさんの方がなくなりました。

満州移民に消極的だった佐々木さんは自分がが思った疑問で村民の命を救ったわけですね。

満州移民は国策でしたが、とにかく満州に人を送りたかった政府は補助金を出したそうですが、この補助金ほしさにたくさんの村人が満州に渡ったそうです。

佐々木さんの村でも「なんでさっと決めないか」と詰め寄る村民も多く、自分の家も随分と嫌がらせを受けたそうです。

ある意味、国策に逆らうわけですから当時としては相当、勇気のいる決断だったのでしょうね。

こういうリーダーこそが本当の意味での英雄ではないでしようか。

今でも国策の補助金につられて悪魔に魂を売る議員はたくさんいますね。

原発や大きなプロジェクトなど国策=絶対、という強制的な部分もあります。

ただ国からお金を貰うという事はリスクを承認したことにもなります。

佐々木さんのように自分が感じた決断を貫き通すリーダーが今の世の中には少ない。

このような姿勢を参考にし国民の生命を守るリーダーが今の日本には必要なのではないでしょうか

たかが村長ですが、とっても魅力的な村長だと思います。


ただ佐々木さんも決断には大いに迷ったそうです。

その時に妻に言われた「自分の子供だったら」の一言で決断がゆるぎないものになったようです。


佐々木忠綱さんが日頃より言っていた口癖

「学問を学問とする学問」に代表されるように教育に熱心な方だったとか

その思いで開校した学校が阿南高校という学校です。

自分の子供たちには「教育と医療が人の基本」と教え「人間の心を持て」が座右の銘だったようです。


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